新宿・地区別散策ガイド | 神楽坂・矢来町
神楽坂の由来は江戸時代、神社に奉納する御神楽が聞こえる坂だったからだといわれていますが、その神楽がどこで奏でられたかについてはいろいろな説があるそうです。夜店のはじまりもここで、明治後期・大正時代には「山手銀座」と呼ばれ、花柳界としても発展し、一時は芸者衆が650人以上もお座敷に出ていたといいます。尾崎紅葉や夏目漱石、与謝野晶子など多くの文豪たちからも愛されたまちで、現在も著名作家の執筆を支えている旅館があります。
今なお残る歴史・文化の佇まい
JR飯田橋駅西口を出ると、牛込橋から大正時代に創業したボート乗り場のあるお濠端のレストランが見えます。外濠を渡るとすぐに神楽坂下の入口となり、そこは神楽坂のメインストリート、老舗の漆器、陶器、履物、足袋から文豪たちが通った文具店、飲食店などが東西線神楽坂駅まで点在しています。
神楽坂通りは一方通行で、平日午前中は坂下へ(東西線神楽坂駅からJR飯田橋駅方面)、午後は坂上へ(JR飯田橋駅から東西線神楽坂駅方面)と車の向きが逆転します(正午から1時間は歩行者天国)。「田中角栄元首相が国会へ行く時と帰る時とで切り替えた」という伝説があるとかないとか。
まちのランドマークとも言える毘沙門天の善国寺(ぜんこくじ)周辺には、戦国時代にこの地を治めていた牛込氏の城跡がある光照寺(こうしょうじ)、見番(芸者と料亭をつなぐ連絡事務所)などがあります。横丁を入ると石畳の小路・黒板塀のまち並みを散策でき、三味線の音や粋な芸者衆を垣間見ることもできるそうです。
神楽坂のあたりは、地形的に坂が多く、さまざまな由来の坂道があり、坂の由来を楽しみながら赤城神社(あかぎじんじゃ)、筑土八幡神社(つくどはちまんじんじゃ)などの寺社仏閣、「春の海」などの名曲を残した作曲家・宮城道雄の記念館、エジソンの発明品などを展示する近代科学資料館などを見て回るのもいいものです。
お濠の四季、坂や路地、歴史・文化・文学の足跡、老舗から新興の飲食店・ショップ…、神楽坂にはいろいろな楽しみ方が混在しています。
関連インフォメーション
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