新宿・地区別散策ガイド | 新宿再発見コラム
ゴールデン街
戦後、焼け野原となった新宿は、闇市や露天が駅周辺にひしめいていました。こうした中、古くからの遊郭であった新宿二丁目界隈は赤線と呼ばれる売春地帯に、また、ゴールデン街は青線と呼ばれる非合法売春地帯となりました。1958(昭和33)年の売春防止法により、ゴールデン街は、作家や映画監督、演劇人などの文化人が集まる飲食街へと変貌をとげ、一時代を築きます。
東京都庁の移転等に伴い再開発計画が浮上し、一時は衰退したものの、2000(平成12)年に施行された定期借家法により、この3年間で50軒以上ものお店が増えるなど、新宿の新たな注目スポットになっています。
内藤家と新宿御苑
江戸時代、四谷から大久保に至る地域は、内藤家の領地でした。江戸への拝領が決まった徳川家康が鷹狩の際、馬術の名士であった内藤清成(ないとう・きよしげ)に「馬が一息でまわれるだけの所領を与えよう」といったのに発し、手に入れた領地です。広さ58.3haからなる新宿御苑は、内藤家の中屋敷があったところで、明治維新後、大蔵省の所管となり農事試験場が作られました(この施設は後に駒場に移された東大農学部の前身)。その後、1879(明治12)年に宮内省の植物御苑となり、1906(明治39)年には日露戦争の勝利を記念して開苑式が開かれ、このときから 新宿御苑と呼ばれるようになりました。一般公開は1949(昭和24)年で、現在は、環境省の所管となっています。付近の多武峯内藤神社(とうのみねないとうじんじゃ)には、領地獲得の際、内藤清成が乗った馬が供養されている駿馬塚(しゅんめづか)があり、内藤家の菩提寺・太宗寺を含め、今でも、新宿と内藤家の足跡をたどることができます。
日本一の巨大ターミナル
新宿を巨大ターミナルとした背景には、1885(明治18)年の鉄道の開設があります(赤羽-品川線、新宿-立川線、その後、四谷までの路面電車が開通)。そして、1923(大正12)年の関東大震災後の復興計画が大きな転換期となり、1927(昭和2)年には小田急線、西武線、京王線が相次ぎ開通し、鉄道交通の要衝となったのです。現在のような巨大デパートがひしめく大ショッピングゾーンの形成は、三越の進出にはじまり、以降、伊勢丹、小田急、京王などができていきました。
戦後の高度成長の中、東京オリンピックを間近に控えた1964(昭和39)年5月には、新宿ステーションビル(マイシティ)がオープンし、現在の新宿駅の原型ができました。この完成を記念して、駅前東口広場に世界で3つしか現存していないという馬水槽(ばすいそう)が、西口の淀橋浄水場から移設されました。馬水槽は、上は馬、下は犬猫、そして裏側に人のための水道が設けられているもので、明治時代、ロンドンの水槽協会から寄贈されたものです。
西新宿は巨大な貯水池と浄水場だった
かつて西新宿には巨大な「淀橋浄水場」がありました。この浄水場は、1886(明治19)年のコレラの大流行により、欧米流の近代水道設備への転換を図るために建設されたものです。1898(明治31)年に完成してから1965(昭和40)年の廃止まで、東京市内の給水はここから行われていました。その後、1971(昭和46)年6月にオープンした京王プラザホテルを皮切りに、高層ビルの建設が進んでいったのです。
お岩稲荷と四谷怪談
お岩が幽霊となり、夫の伊右衛門に化けてでる四世鶴屋南北(よんせいつるやなんぼく)の『東海道四谷怪談』は有名ですが、お岩は実在の人物です。若い時分にほうそうを患い片目を失明し、養子婿の伊右衛門の浮気に狂乱したお岩が行方不明となり、その後不吉なことがあったことからお岩稲荷を祀ったという説と、伊右衛門とお岩は仲の良い夫婦で、代々家に伝わる稲荷を厚く信仰したという説があります。四谷怪談は、約200年後に前者の伝説をもとに、当時の殺人事件などを結び付けて脚色したものです。
東京の発展と水
水の確保は、都市づくりにおいて重要なライフラインのひとつです。江戸時代から明治初期までその役割の一旦を担っていたのが玉川上水で、玉川上水が廃止された後も淀橋上水場から給水が行われており、新宿は東京の水供給のうえでも重要な拠点でした。
文豪が愛した新宿
日本の近代文学は、江戸文化と西洋文化の双方から影響を受けました。新宿区には近代文学の発展を担った数多くの文学者が家を構え執筆活動を行っており、新宿の当時の姿を多くの作品から読み取ることができます。落合・中井のあたりでは、林芙美子、武者小路実篤、壇一雄、吉川英治などが、また、高田馬場・早稲田には、夏目漱石、坪内逍遥、太宰治、志賀直哉、江戸川乱歩らが、神楽坂には、尾崎紅葉、田山花袋、正宗白鳥、泉鏡花、北原白秋などが住み、執筆活動を行っていました。ここ大久保・百人町あたりでは、小泉八雲、国木田独歩、島崎藤村などの足跡を辿ることができます。
新宿の地場産業Ⅰ「出版・印刷関連業」
東京は地価高騰などから工場の移転が続いていますが、出版・印刷業は、今でも東京区部に集積しており、新宿でも重要な産業となっています。新宿区の出版・印刷関連業は、1886(明治19)年に秀英舎(現:大日本印刷㈱)が市谷加賀町に移ってから活発になり、現在では、区内製造業事業所の約8割、製造品出荷額の約9割を占めています。様々な情報・文化の発信基地・新宿ならではの地場産業といってよいでしょう。
新宿区印刷・製本関連団体協議会
新宿の地場産業Ⅱ「染色」
江戸幕府の発展とともに、江戸の染色産業も発展を続けました。新宿区の染色産業は、伝統工芸品である「東京染小紋」と「東京手描友禅」に代表され、大正中頃から神田や浅草で営業していた染色業者たちが染色に適した水を求め、神田川や妙正寺川周辺に移転してきました。現在、湯のし・洗い張りなどの関連業種、手描友禅や刺繍の職人など11業種、約200人(平成7年新宿区染色業実態調査)が、伝統の技を継承しています。
染色等の体験・見学
〔東京染ものがたり博物館〕(見学・体験
東京染小紋と江戸更紗を中心に染色の技法や作品を紹介しています。
〔染の里二葉苑〕(見学・体験)
東京染小紋や江戸更紗の作品、染めの工程を見学できます。
〔つまみかんざし博物館〕(見学)
常時、約30種類のつまみかんざしを見学できます。
都電荒川線
都電で唯一残る都電荒川線は、早稲田駅から三ノ輪駅までの12.2kmを48分で走っています。以前は多くの路線がありましたが、戦後の経済成長の中、車の普及や財政の逼迫から都電は時代遅れとなり、次第に廃止されました。「チンチン」と鐘を鳴らせながらまち中を走る車両は、東京の貴重な風物詩といえるでしょう。
石畳小路の散策
神楽坂三丁目や四丁目の横丁に入ると、両手を広げたぐらいの道幅で迷路のような石畳の小路が続き、黒板塀に囲まれた料亭を見ることができます。「料亭」とは「待合(お座敷)」と「料理屋」を合わせた呼び名で、座敷でゆっくり料理を楽しんだり、芸者遊びができる場所をいいます。全盛期は70軒以上あったという神楽坂の料亭も、今は10軒ほどになってしまいました。
現在、神楽坂の路地文化を残そうと、
NPO法人「粋なまちづくり倶楽部」を中心に、積極的なまちづくりが展開されています。『神楽坂まちの手帖』『神楽坂ニュース』『かぐらむら』といったタウン誌も発行されており、『神楽坂まちの手帖』は書店で購入できます。
また、自治会とボランティアが協力して、野良猫とまちの共生を目指した活動も行っています。不妊・去勢手術を受けた猫にはピアスがしてあり、小路で「ピアスをした猫」にお目にかかれるかもしれません。地元では、神楽坂の路地、文学、歴史、坂、グルメ店などを案内する事業も展開していますので、ぜひ一度、地元の人から神楽坂の魅力を聞いてみるのもいいかもしれません。
プチ・フランスなまち
神楽坂は伝統的な日本の佇まいを感じられる一方で、非常にフランス人の来街が多いまちです。近くに東京日仏学院があることもその要因と考えられます。まちには多くの本格的なフランス料理店や、ブルターニュ地方のクレープ専門店、量り売りのチーズ店、ワインバーなどがあり、フランス人がオーナーを務めるお店も数多くあります。
新宿区の日本一
西新宿の高層ビル群、新宿駅の乗降客数(3,182,750人、平成14年度)。
新宿区の伝統工芸
染色、東京手描き友禅、つまみかんざし。
新宿区の木と花
新宿区の木は「けやき」で、区成立25周年の1972(昭和47)年に区民の投票により決まりました。花は「つつじ」で、江戸時代から昭和初期まで大久保通りが名所となっていました。
新宿区にある国指定文化財
林氏墓地(市谷山伏町16)、山鹿素行(やまが・そこう)の墓(弁天町9)、江戸城外堀跡(千代田区、港区との境)、学習院旧正門(戸山3-20-1)、新宿御苑旧洋館御休所(内藤町11)、が国の指定文化財になっています。
新宿区の友好都市
長野県高遠町、レフカダ町(ギリシャ)、ベルリン市ミッテ区(ドイツ)、北京市東城区(中国)。
坂(さか)文化
東京にはたくさんの坂がありますが、新宿区も坂の宝庫で、名前のついた坂は83を数えます(文京区、港区に次ぎ23区で3番目)。江戸時代、坂の上には大名・武家屋敷や寺社仏閣があり、坂の下には商工業や遊びの空間がつくられており、今でもその名残があります。
日本一のラーメン激戦区?
全国的なラーメンブームの中、新宿区こそが全国一のラーメン激戦区ではないでしょうか。新宿三丁目、歌舞伎町、小滝橋通り、高田馬場、西早稲田には多くのラーメン店が集積し、TV等でも多くの店舗が紹介されています。
大道芸人
東京都がライセンスを発行した大道芸人に公園等の公共スペースを提供し、自由に活動してもらうという「ヘブンアーティスト」が2002(平成14)年9月にスタートしました。新宿では、都民広場、都庁の展望室、大江戸線新宿西口駅、都庁前駅、東京オペラシティの計5カ所で見ることができます(開催日時等は、東京都のホームページをご覧ください)。
フリーマーケット
花園神社では毎週日曜日の日の出から日没まで「花園青空骨董市」(雨天中止)が行われています。また、新宿はフリーマーケットの宝庫で新宿中央公園、戸山公園、明治公園をはじめ、西新宿にある野村ビル、三井ビルなどで定期的に行われています。戦後の露店文化が、今も根強く残っているのではないでしょうか。
新宿区のデータ
新宿区は、1947(昭和22)年3月15日、旧四谷・牛込・淀橋の3区が合併して発足したもので、「内藤新宿」の歴史的な由来のほか、新宿御苑や新宿駅がすでに全国区となっていたことから、「新宿」という名が付きました。
東京区部のほぼ中心に位置し、1991年の都庁移転で東京の副都心となりました。新宿駅周辺にはデパートや繁華街が集中し、西口には超高層ビルが林立するなど、その規模はまさに日本一です。一方で、住宅地が約6割を占めるなど、良好な住環境が残されているのも特徴といえます。
- 面積(H13.10.1現在)/18.23k㎡(23区で13番目)
- 人口(H16.1.1現在)/270,542人(23区で13番目)
- 外国人登録人口(H16.1.1現在)/29,143人(23区で1番目)
- 昼間人口(H12.10.1現在)/798,611人(23区で3番目)
- 区民1人当たり公園面積(H14.4.1現在)/3.95㎡(23区で9番目)
- 医療施設(H13.10.1現在)/592(23区で3番目)
- 事業所数(H13.10.1現在)/37,260事業所(23区で3番目)
- 従業者数(H13.10.1現在)/604,490人(23区で4番目)
- 新宿区の産業
- 卸売業(平成14年)
事業所数 2,126店(23区で8番目)
従業者数 49,831人(23区で5番目)
年間販売額 5,287,578百万円(23区で6番目) - 小売業(平成14年)
事業所数 4,517店(23区で7番目)
従業者数 41,914人(23区で2番目)
年間販売額 1,361,431百万円(23区で1番目) - 製造業(全数)(平成12年)
事業所数 1,900所(23区で11番目)
従業者数 26,177人(23区で7番目)
製品出荷額 78,298,351百万円(23区で3番目)
- 卸売業(平成14年)