医療制度改革に関する提言
東京商工会議所
わが国の国民医療費は人口の高齢化、医療コストの上昇などを背景に急増し、国民所得に占める割合も増加している。とりわけ老人医療費は毎年7~9%程度と急増しており、医療費全体の伸び(3~6%)を大きく上回っている。このため財源の3割以上を老人保健制度に拠出する医療保険財政は著しく悪化し、制度存続の危機に陥っている。
これを放置すれば保険料の引き上げは必至となるが、経済界としては医療に係る国民負担や中小企業を含む企業の負担が際限なく上昇し、わが国経済社会の活力を大きく損なうことに強い危機感を抱いている。現下の経済低迷の一因に、将来の生活や社会保障への不安による消費需要の萎縮があることも踏まえ、国民医療費の増嵩に歯止めをかけ、将来に亘り持続可能で質の高い医療サービスを国民に安定的に提供できる制度を早急に確立すべきであると考える。
制度改革にあたっては高齢者医療制度の見直し、医療費の適正化、医療提供体制の見直し、保険者機能の強化など多くの課題に取り組む必要がある。とりわけ高齢者医療制度については、医療保険の破綻を一刻も早く防止するための抜本的な改革に最優先で取り組むべきである。政府は強力なリーダーシップを発揮して改革を断行し、国民にとって信頼性と納得性の高い制度を確立すべきである。
以上の認識のもと、医療制度改革に関し下記のとおり提言する。
提言
記
1 新たな高齢者医療保険制度の創設
(1) 老人保健制度に替わる新たな枠組みの必要性
現行の老人保健制度は、各保険者の共同事業として給付責任は市町村、
財政責任は各保険者に分離している。そのため制度全体の責任の所在があ
いまいで、結果として老人医療費の増加に歯止めがかからず、各保険者の
財政は危殆に瀕している。国民医療費急増の主要因である高齢者医療費の
増大を抑制し、高齢者医療を責任ある体制で運営するためには、現行の老
人保健制度の抜本改革が不可欠である。
(2) 新たな高齢者医療保険制度(試案)
① 独立方式
保険者による財政責任を明確化するとともに、給付と負担について分か
りやすい仕組みとするため、被用者保険、国民健康保険とは独立した高齢
者を対象とした「高齢者医療保険制度」を創設する。被給付権の対象とな
る高齢者の範囲については、現行の老人保健制度との継続性を勘案して70
歳以上が適当である。
これにともない各保険者が負担している老人保健拠出金は廃止し、また
高齢者医療保険の対象年齢に達するまでの医療は、各保険において引き続
き対応する。
② 都道府県単位の保険集団
現在の国民健康保険は、市町村単位となっており、リスクの分散や事業
運営の効率性確保に限界がある。したがって「高齢者医療保険制度」の保
険集団についてはより広域化して都道府県単位とするのが妥当である。
③ 保険者機能を重視した運営主体を検討
「高齢者医療保険制度」の運営については、保険者機能が十全に発揮さ
れるような体制が望ましい。行政直営型ではなく都道府県から独立した法
人(独立行政法人等)の創設など、保険者機能を重視した運営主体を検討
すべきである。
保険者は自らの財政責任において保険料の適正徴収や保健事業、業務の
効率化や財政情報の公開に取り組み、NPOや地域住民の参画・支援を得
ながら、保険制度の健全運営と医療費の適正化を推進する必要がある。
④ 財源は高齢者負担、公費のほかに「現役世代からの支援」
財源については、高齢者にも適正な負担をしてもらうとともに、それ以
外を公費(税)のみで賄うことが事実上不可能と考えられることから、以
下のとおりとするのが妥当と考えられる。
(a) 高齢者患者の窓口負担を完全定率1割とする。
現行の月別支払い額の上限制は、安易な受診につながりやすいなど
弊害が多く、高齢者にもコスト意識を持ってもらうためにも撤廃すべ
きである。但し、低所得者には一定の配慮を行う必要がある。
(b) 高齢者からの保険料
(c) 公費(税)の負担割合(現在3割)を当面、5割まで引き上げる。
(d) 現役世代からの支援
各保険者が現役世代から「介護保険料」と同様に、被用者保険、国
民健康保険と明確に切り離した「高齢者医療保険料」を負担してもら
う。現役世代からの財政支援という点では実質的には老人保健拠出金
と同じだが、保険料の使途をより明確にすると同時に、負担水準が国
民にとって分かりやすい制度とする。
なお、財源の具体的な配分・負担水準等のあり方については、高齢
者医療を国民全体で負担を分かち合い、主体的に支えていくという基
本的な考え方のもと、国民各層において給付と負担の公正・公平の確
保等、総合的な観点から検討を行うべきである。
2 医療費の適正化への取り組み
(1) 経済とバランスのとれた「医療費総額」の管理・抑制
国民医療が国民の経済活動によって支えられている以上、国民医療費の
伸びを経済成長とバランスのとれたものにしない限り、将来に亘る持続可
能で安定的な制度とはなりえない。
先の経済財政諮問会議の基本方針では特に伸びが著しい老人医療費に関
して、経済の動向と乖離しないよう目標となる伸び率を設定し、その伸び
を抑制するための新たな枠組みを構築することが提案されている。
国民医療費の約4割を占める老人医療費に限定して厳しい管理・抑制を
行う案であるが、さらに踏み込んで必要な医療の確保に留意しつつ、国民
医療費全体を国民所得の伸びに対応した水準に収められるような具体的な
目標値の設定、公的医療保険の守備範囲の見直しなど、医療費の適正化を
強力に推進すべきである。
(2) 診療報酬体系の見直し(「出来高払い」から「定額払い」へ)
診療報酬体系については現在、「出来高払い方式」が基本となっており
過剰診療や長期入院等の弊害を招いている。
今後は、「包括払い方式」の導入拡大と、「EBM(根拠に基づく医療
)」と「DRG-PPS(診断群別定額支払い方式)」など定額払いの拡
大を重点的に進め、国民が理解し、納得できるような診療報酬体系の見直
しを進めるべきである。
(3) 介護保険との機能分担による「社会的入院」問題の解消
医療をめぐる問題のひとつに、治療を必要としない高齢患者が一般病棟
に長期に入院する、いわゆる「社会的入院」問題があるが、昨年4月の介
護保険制度の施行後も、解消に向かう動きが見られない。
政策当局として「社会的入院」の介護保険への移行促進について、医療
機関に対するインセンティブの付与等の明確な対応策を講ずるべきである。
(4) 終末期医療のあり方に関する国民的コンセンサスの形成
医療費が増嵩するなかで終末期医療のあり方が改めて問われている。単
なる延命治療を望まないという考え方も広がっている。本人にとって人生
の終末期をいかなる状況で迎えることが最善なのか、という観点から、リ
ビング・ウィル(患者が意思表示できなくなる前に、患者の意思を明確に
残す)の制度化や自己負担のあり方等について広く国民的なコンセンサス
を形成していく必要がある。
(5) 薬剤費の抑制と医薬分業の推進
医療費増加の一要因である「薬価差」の問題は、「調整幅」の見直しに
より薬剤費・薬剤比率とも減少してきているが、依然として高額薬剤への
シフトや多剤投与の問題が見られることから、今後とも「調整幅」の適正
化と「薬価差」の縮小をはかるとともに、有用性の高い改良型新薬及び後
発薬剤の育成と使用促進の観点に立った薬価算定方式の見直しに取り組む
べきである。
また、一定単位の薬剤の合計額が205円以下の場合にレセプトに薬剤名
の表記を省略できる、いわゆる「205円ルール」は撤廃すべきである。
複数の医療機関からもらった薬の同時服用から起る副作用やアレルギー
を防ぎ、安全な薬剤使用ができるように、患者が特定のかかりつけの薬局
で複数の処方箋を勘案して最適な薬剤の提供を受ける医薬分業体制の確立
が望ましい。薬剤師実務研修の拡充や顧客別薬歴のデータ管理の推進など
医薬分業のための環境整備を重点的に進めるべきである。
(6)「生活習慣病予防」への国民的取り組みの強化
近年、疾病全体に占めるがん、心臓病、脳卒中、糖尿病等の生活習慣病
の割合が増加しており、医療費全体の3割強を占めている。食事や運動等
の日常の生活習慣を改めることで相当程度の予防が可能とされており、国
民ひとりひとりが自らの責任において健康増進と発病の予防に取り組むこ
とが重要な課題である。
すでに国において「21世紀における国民健康づくり運動(健康日本21)」
が定められている。国民に対する健康づくりへの普及啓発を一層強化する
とともに、計画についての国および地方自治体、職域・地域別の保険者と
医療機関による相互連携と役割分担による着実な実施が求められる。
併せて、生活習慣病予防への主体的な取り組みをもっと高く評価する必
要があり、予防検診等についても保険給付の対象とすべきである。
(7) 社会保障制度間の有機的連携と非効率の是正
社会保障制度は従来、個別制度ごとの改正が積み重ねられたため、制度
間の調整が充分でなく全体としての効率的な運営という点では問題が多い。
経済財政諮問会議の基本方針では個人別の負担と給付の明確化をはかる
「社会保障個人会計」の創設が提案されている。その具体化にあたっては、
制度の透明性とプライバシー保護に十分注意しながら、国民の理解を高め
ると同時に、制度間の機能分担の見直しと有機的な連携をはかることによ
り、社会保障費用の無駄や制度の非効率を是正し、真に支援を必要とする
者に対する保障を充実させる観点が重要である。
3 医療提供体制の見直し
(1) 医療の質の確保と患者本位の医療提供
医療提供体制については全体として量的にはほぼ充足されており、今後
は国民のニーズに適切に対応した良質な医療の確保に重点を置く必要があ
る。そのためには医療従事者の資質向上をはかるとともに、続発する医療
事故を防止するための医療安全対策の充実が重要な課題である。
また、患者が納得し、主体的に医療サービスの選択ができる「患者本位
の医療提供体制」を目指すべきであり、インフォームド・コンセントやカ
ルテなど診療情報の開示の定着化、混合診療の自由化を実現すべきである。
(2) 医療提供体制に関する規制の見直しと競争の促進
現在、株式会社による病院経営が事実上禁止されており、また患者によ
る医療機関の選択を困難にする「宣伝広告規制」などの規制がある。これ
らを緩和し、近代的で合理的な経営を行う医療機関の参入と情報提供を促
し、地域の医療機関相互の競争を促進することにより、医療サービスの質
の向上と医療費の適正化を進めるべきである。
また、海外の医療機器や医薬品の国内使用の承認に係る手続きの簡素化
や、高度医療機器の共同利用・稼働率の向上等により医療資源の効率的利
用をはかる必要がある。さらに、医療サービスのIT化を進めるとともに、
電子カルテ、電子レセプトの推進に努めるべきである。
(3)「かかりつけ医から大病院へ」の受診ルートの確立
「フリーアクセス」(患者は自由に医療機関を選び、受診できる仕組み)
を原則とするわが国では、大病院と診療所・中小病院との間の外来機能の
分担が不充分であり、患者が症状の如何にかかわらず高コストの大病院に
集中する傾向がある。
医療費の適正化はもちろん、患者に対する医療サービスの充実という点
からも、「まずかかりつけ医へ、そこで対応できない場合のみ、紹介状を
得て大病院へ」という患者の受診ルートを確立すべきである。また、地域
での医療機関相互の連携を強め、地域として患者を充分にフォローできる
体制を整備すべきである。
(4) 医療機関に対する第三者評価の推進
医療機関が量的に過剰となるなかで、医療機関の機能に対する第三者に
よる外部評価機能を強化し、医療機関の競争を促進することにより医療の
質の向上と医療費の適正化を推進すべきである。
現在、(財)日本医療機能評価機構による評価制度があるが、規模・内
容ともまだ充分とはいえない。同機構の組織面の強化と制度面の拡充をは
かるとともに、国民にとって判り易い評価内容とすることが重要である。
また、医療の効率性の観点に立った評価項目を大幅に加えるとともに、評
価対象となる医療機関を公的性格の高い病院や一定規模以上の病院を中心
に拡大すべきである。
4 保険者機能の強化
(1) 「患者本位の医療」実現のための保険者機能の強化
日本の医療保険制度においては、保険者(健康保険組合等)が本来、持
つべき医療サービスの受け手(患者)の代理人としての機能を充分に発揮
してきたとはいえない。しかし今後、「患者本位の医療」を実現するため
には、保険者は被保険者の付託を背景に、医療費の抑制に主体的に取り組
むとともに、専門的な知識・情報をもとに患者の医療情報不足を補完・支
援する重要な役割を果たすべきである。
医療行政は保険者を育成するとともに、保険者が本来の役割を充分に果
たせるだけの権能の強化を行い、消費者主権の広がりのなかで患者が医療
サービスを自由に選択できるような「患者本位の医療」環境づくりに取り
組むべきである。
(2) 医療保険契約当事者、専門的情報機関としての役割の強化
まず、保険者が本来的な契約当事者として保険契約内容、つまり診療報
酬の改定や、保険医療機関の指定・取消しといった重要な意志決定プロセ
ス(中央・地方の社会保険医療協議会)に、より積極的かつ実質的に関与
すべきである。
また、不適格な医療機関に対する契約解除権や診療報酬点数単価等に関
する個別契約権、さらには医療機関に対する調査やレセプトの一次審査権
限のの付与等についても具体的検討を行うべきである。
次に、被保険者に対する専門的情報機関として、レセプト等の情報を収
集・分析する体制をつくり、将来的には保険者が医療機関の機能を評価し、
被保険者に適切な情報提供を行うことが重要である。
さらに、被保険者に対する普及啓発活動においては、重複受診の是正な
ど正しい受診行動についての情報提供や被保険者指導、生活習慣病予防を
中心とする保健事業により積極的に取り組むべきである。
これらの事業の効率化・合理化にはITの活用が不可欠であり、本格的
なレセプト・チェック能力を有する医療関連サービス事業者へのアウトソ
ーシング化も併せて検討する必要がある。行政においては保険者がこれら
の事業に円滑に取り組むことができるような環境整備を重点化する必要が
ある。
東京商工会議所