※企業概要は受賞当時(2019年)の内容です。
●生き残りをかけ、自社ブランドのドットマーカーによる刻印機を開発。経営指標を社内で共有し、少人数の町工場ながら海外生産 販売に取り組み業績を向上させたこと。
どん底の経営状況から生き残りをかけ、自社ブランド製品を確立。
1919年に祖父の兄が創業した刻印及び刻印機のメーカーである当社は、受注生産型の下請的な町工場でした。刻印は自動車や工作機械の部品に製品情報、シリアル番号、ロット番号、ロゴマーク等を刻み込むもので企業の品質管理に不可欠。しかし、この業界は価格競争にさらされ収益力が乏しく、写真家を志してアメリカで修業中だった私が呼び戻されて入社した2000年の時点で、借入金は年商に匹敵する2億円。そのような時期に私はシカゴの展示会でスペイン製NC制御式ドットマーカーに出会いました。従来は文字の仕様が変わるたびに刻印を取り付けていたのですが、このドットマーカーは入力した文字をそのまま刻印できるデジタル式で、これまでの課題を解消できるものだったのです。唯一の希望を見出し、代理店になろうと思ったのですが、社内から「従来の刻印機が売れなくなる」と大反対。社内を何とか説得して代理店になりました。
そんな中、04年末に先代社長の父が死去し、私が社長に就任。その時、どうやったら今後会社が生き残っていけるかを考え、「代理店や下請ではなく、自社ブランドを持つメーカーとして生きていく」ことを決意しました。着目したのは、取り扱っていたドットマーカーです。海外製がほとんどで国産は1社のみ。この状況を変えたいと思いました。ドットマーカーは 1台100~300万円で中小企業には高額、重い、据え付け型で不便などの課題があり、それらを克服する製品開発が目標。5年の歳月をかけて、「MarkinBOX」1号機を開発。「MarkinBOX」の価格は約50万円、コンパクトかつ電動式でポータブル、PCと連動する機能を持たせました。さらに量産体制を構築すべく、将来的なアジア進出を見据え、中国の深訓に工場の設立を目指しました。銀行をはじめ周囲からは、現地のマネジメントなど人材が不足していると反対されましたが「町工場でも海外生産をやり遂げる」と決断。日中関係が厳しい時には、人手が不足しましたが、私自身も泊まり込んで生産を軌道に乗せました。
私自身が積極的に海外の現場に赴き課題を解決したり、営業することも多いため、社内で情報を共有し少人数の会社でも戦える体制を整えています。その後、小型化&ポータブル化を進化させた製品「Patmark」も開発。ドットマーカーの売上は2/3を占め、18年度決算では売上が入社当時の約2.5倍となりました。
また、品質管理のニーズが高い海外市場への展開を見据えて、自ら拠点を海外へ移転。海外での取引も着実に増え「世界一の刻印機メーカー」への挑戦を続けています。