※企業概要は受賞当時(2018年)の内容です。
●経営危機を経て、自社のものづくりに活路を見出し、製品開発に挑戦。アメリカ、ドイツをはじめ主要な研究機関で使用される環境測定器を開発する世界でも認められる会社に成長させたこと。
困難を乗り越え、グローバル競争の中、ニッチトップを目指す
当社は1955年に太陽からの日射量を計測する日本初のドーム型日射計を開発し、気象庁に導入されるなど、気象機器ビジネスでは長い歴史を持っています。90年当時、私は商社で海外に赴任していましたが、義父で当社先代の社長に誘われ入社しました。
入社してから知ったのですが、社員の独立により売上の約3割強を占めていた輸入品の販売代理権を失い、さらに社員の競合他社への転職が相次ぎました。15億円あった売上が8億円へ半減し、また製品開発の停滞もあり、気象庁などに独占販売していた日射計も他社に奪われてしまいました。
この状況を打破するため、まず商社にいた経験を活かし当社の強みである計測機器分野で輸入販売代理権の拡大に取り組みました。自身が中心となって海外サプライヤーの協力を得て、新規代理店獲得のため展示会などを周り、15年間で15件の代理店を獲得。90年代後半には売上も15億円台にまで回復し、経営が安定してきました。
輸入代理業のみでは将来的にいつ代理権を失うか分かりません。そこで海外企業への出資を通じた製品の確保に動きました。2001年ごろオランダとドイツの企業に買収も視野に出資しますが、うまく行かず、結果、投資損失を1億5,000万円ほど出してしまいました。この失敗を受け、私たちの原点であるものづくりにこだわろうと、自社製品の開発 強化に取り組みました。03年より研究開発や製造に携わる人材の新規採用により増員し、また大学との産学連携による共同研究をスタート。05年の米国を皮切りに、オランダ、香港と海外拠点をつくり、技術の最先端の動向を把握するとともに海外販売代理店網を構築していきました。
開発にかかった費用は人件費などを含めて12年間で20億円を超えます。海外での動向を積極的に製品開発に生かすことで、少しずつ実を結んでいきました。中でも、「全天候型及び携帯型分光放射計」は米国国立再生可能エネルギー研究所をはじめ、世界的な研究機関へ独占的に販売するなど高い信頼を獲得することができました。
結果として、今ではグローバルな競争な中で、ニッチトップの位置を占める新製品を誕生させることができました。国内においても、気象庁のアメダスと地上気象観測網に新型の日照計と日射計を納入することができました。19年の製品化を目指しゲリラ豪雨などの予報・防災に貢献する製品の開発に取り組んでいます。
常に新しい技術に挑戦し、規模は大きくなくても、世界で存在感のある会社を目指しています。