※企業概要は受賞当時(2017年)の内容です。
●1990年代から取引先の海外進出や印刷技術のデジタル化など、事業環境が激変。受注減少と競合との激しい価格競争により経営危機に陥った。状況を打開するため医薬品パッケージ分野への進出を決断。その結果、付加価値の高い医薬品パッケージ印刷で業績を伸ばし、価格競争からの脱却を図ったこと。
10年かけた工場集約。
忍耐とビジョンで完遂した
たゆみない「勇気」。
付加価値の高い医薬品パッケージ分野に挑み、価格競争から脱却
当社はかつて贈答品の化粧箱製造が主力でしたが、現在は医薬品・食品向けの紙製商品パッケージを企画・デザイン・製造まで一貫して手掛けています。化粧箱と医薬品の箱では求められる要素が全く違います。
容器としての美的・構造的な規格と、薬事に基づく規 格との違いとでも言えば良いでしょうか。90年代後半、同じ「箱」でも従来の領域とは対極にあった医薬品パッケージへの進出。それが最初の挑戦ですが、その先の「工場統合」こそ、企業の存亡をかけた戦いでした。
市場が細り季節毎の変化も大きいギフト需要から年間を通じた工業製品需要の対応へ。特に医薬品分野では、薬を梱包することから高度な衛生管理体制を持つ工場が不可欠です。98年当時、当社はそれまでの受注増に対応すべく3工場(本社・福生・瑞穂)付加価値の高い医薬品パッケージ分野に挑み、価格競争から脱却を持っていましたが、事業内容が重なり、非常に非効率な状態に陥っていたのです。
工場を統合しつつ、理想とする新工場を福生の敷地内に建設したい。将来図は見えていました。しかし現実がそれを許しません。生産を維持し、工場集約に伴う熟練工の流出を防ぎ、そして莫大な資金をどう調達すれば良いのか。規制の関係上、同一敷地への建設はハードルが高く、一方で市場はさらに過酷さを増してきます。悩んだ末に下した決断は「新工場建設を三期に分ける」「竣工に応じて工場閉鎖を進める」でした。一気呵成に統合を進めるのではなく、たゆみなく理想に向けて変え続ける道を選んだのです。
新工場完成まで約10年かかりました。忍耐の要る歳月でしたが、資金需要を分散でき、情勢に応じた工場の設計変更も可能になりました。
現在の当社は、挑戦の延長線上にあります。福生の新工場の完成後も毎年2.4億円の設備投資を続けました。その結果、医薬品業界並みのクリーンな工場環境を実現し、世界最先端の設備を揃える生産体制を持つに至りました。パッケージの企画・設計からデザインまでトータル提案できるビジネスモデルが整ったのです。
新工場計画を決めた当時、先代経営者の父はすでに他界しておりましたが、「石橋を叩いて渡らない」ほど慎重だった父を説得できる計画を練らなくては、と眠れぬ夜が続きました。いま、医薬品パッケージはジェネリック薬品の認可に伴い新規参入と規模拡大が期待できる市場となっていますが、この時の思いを胸に、今後もしぶとく挑み続ける企業でありたいと願っています。