※企業概要は受賞当時(2011年)の内容です。
●国産初の近代的保育器を開発して以来、60年にわたって「小さな生命(いのち)を救うために」をテーマに改良を重ねた結果、海外メーカー優位の国内医療機器市場において、今日では保育器のシェア85%を獲得し、日本の新生児死亡率低下に多大な貢献をしたこと。
●保育器の米国市場進出を決断し、世界市場No1を目指す一方、チューブ等のディスポ製品についてはフィリピンのセブ島に工場を建設し、高いコスト競争力を持った供給拠点とするなど、グローバル化で鍛えられてさらなる成長が期待できること。
「小さな生命を救うために」。創業以来、現在に至るまで、一貫してこのテーマに全身全霊を捧げてきた会社がある。
我が国の近代的な保育器の歴史は、同社そのものの歴史でもある。昭和27年に同社が国産初の第一号機を開発。その前年、新生児1000人当たりの死亡率は約28人。それから60年にわたって改良に改良を重ね、10世代以上ものモデルチェンジを経た結果、平成21年の同死亡率はわずか1.2人にまで激減。今では、500g以下の超未熟児でも育つことができる。まさに同社の貢献の賜物である。
今から30数年も前になるが、鹿児島で日本初の五つ子が誕生したというニュースを覚えておられるだろうか。この出来事により保育器が一気に普及することになるのであるが、当時、緊急空輸など全社の総力を挙げて対応したのが同社であった。海外メーカーが席巻する日本の医療機器市場において、保育器では同社が現在85%という圧倒的なシェアを握る。
さて、このような会社が、2つの大きな挑戦を敢行する。1つがアメリカ市場への進出だ。ご存じの通り、アメリカは大変な訴訟社会で、PL訴訟や特許訴訟の嵐を恐れ、進出をためらう中小企業は多い。同社は敢て高シェアを握る日本市場で安住することにとどまらず、グローバル市場で鍛えられてより強く成長する道を選んだ。
もう1つの挑戦は、フィリピン・セブ島への工場進出だ。医療現場で機械を使用する際には、カテーテルや輸液チューブなどのディスポ(使い捨て)製品が必ずと言っていいほど必要になる。高度な医療機器は国内で生産する一方で、コスト競争力が求められるディスポ製品については、国内工場を閉鎖して海外展開の道を選んだ。失敗しても二度と日本には戻れない。
日本で小さな生命を守り続けてきた同社が、世界中の「小さな生命を救うために」新たな挑戦が続く。
全ての夢を社員と共有し、新たなチャレンジへ
産婦人科、未熟児・新生児医療一筋に歩んでまいりましたが、今回の受賞により、輸入超過が続く日本の医療機器市場から中小企業の優れたモノづくりを世界に向けて発進する、新たなチャレンジへの決意と勇気が湧いてまいりました。
(アトムメディカル株式会社/松原 一雄 社長)