渋沢栄一
1883(明治16)年、当時38歳

板橋本院新築披露 病室にて
1924(大正13)年3月21日

視察中の渡米実業団一行
1909(明治42)年

小山正太郎画「論語と算盤」

第8代、第17代内閣総理大臣
大隈重信

商法会議所設立之儀願書
1877(明治10)年12月

現在地(丸の内)に設立した東京商業会議所
1899(明治32)年7月

資本主義の父、渋沢栄一とは?

生い立ちと生涯

生涯に約500もの企業に関わり「資本主義の父」と称される渋沢栄一は、「道徳経済合一説」を説き、現在の「東京商工会議所」の初代会頭も務めた。

大きな功績を残したその人生は、1840(天保11)に、現在の埼玉県深谷市に生まれ、少年期より家業を手伝うかたわら論語等を学んだことに始まる。青年期に幕臣として欧州諸国を見聞した経験が、より一層、官尊民卑打破の考えを強くし、合本組織による事業経営という考えに彼を導いた。

一時期、民部・大蔵省に任官するも、民間人として企業の創設・育成のほか、教育機関・社会福祉事業の支援に尽力した。民間経済外交のパイオニアとしての活動等の功績により、2度にわたってノーベル賞の候補となった。

  • 渋沢栄一の説く合本組織とは…
    個人主義に基づく利潤の追求ではなく、国家社会全体の利益、すなわち公益を増加させることを第一とし、最も適した人材と資本を集めた組織のこと。したがって、組織形態は必ずしも株式会社ではなくてもよく、会社の目的を達成するために適した組織を意味していた。

渋沢栄一
1883(明治16)年、当時38歳

社会福祉への貢献

社会事業に熱心だった渋沢栄一は、東京養育院の院長を務めるとともに、東京慈恵会や日本赤十字社などの設立・支援に携わった。また関東大震災の際には、発生10日後に「東京商工会議所」のビル内に「大震災善後会」を設置。被災者救済を支援し、寄付集金にも奔走した。
教育面では、森有礼の商法講習所(現:一橋大学)や大倉喜八郎の大倉商業学校(現:東京経済大学)を支援、発展させた。また東京女学館や日本女子大学校にも深く関わり、女子教育に尽力した。
明治天皇崩御に際しては、明治神宮の建立を主導した。

板橋本院新築披露 病室にて
1924(大正13)年3月21日

日本経済への貢献

欧州視察を通じて文化や技術とともに優れた社会制度を学んだ渋沢栄一は、合本法によって第一国立銀行などの企業を設立。これを皮切りに、現在でも日本を支える多くの業界の事業に関わった。

また、「東京商工会議所」を通じて、不平等条約の改正のためのロビー活動やアメリカ合衆国前大統領のユリシーズ・グラント将軍の接遇、アメリカ合衆国経済使節団「渡米実業団」の団長も務めるなど、民間人として多くの活動に携わった。

視察中の渡米実業団一行
1909(明治42)年

道徳経済合一説

渋沢栄一の考えの中心となったのは、「企業の目的が利潤の追求にあることは間違いではないが、その根底には道徳が必要であり、国ないしは人類全体の繁栄に対して責任を持つことを忘れてはならない」という思想。そのような考えをはじめとした処世術(生きる上での術)を纏めたものが『論語と算盤』である。
現代社会でも色あせることのない渋沢栄一の思想は、アメリカ合衆国の著名な経済学者にも多大な影響を与え、東アジア諸国でも大きな注目を集めている。

小山正太郎画「論語と算盤」

渋沢栄一はなぜ、
現在の「東京商工会議所」を
設立したのか?

「世論」をつくるために

欧米列強との貿易に関する不平等条約の撤廃を目指していた明治政府は、「(不平等条約は)世論が許さないから」とイギリス公使ハリー・パークスと交渉を行った。しかし、「日本には世論はあるのか?日本には多数が集合して協議する仕組みがないではないか。個々めいめいの違った申し出は世論ではない」と反駁されてしまう。こうして「輿論(よろん)」が必要となり、時の大蔵卿大隈重信は渋沢栄一に相談を持ちかけた。

渋沢栄一はパリ万国博覧会随行(1867(慶応3)年)した渡欧経験から、欧米の商業会議所を思い起こし、「国の法律によらず一般商人の申し合せで団体組織をなし、実際にやっているから、充分やれる」と答えたという。

第8代、第17代内閣総理大臣
大隈重信

設立を主導し、初代会頭に

渋沢栄一は東京商工会議所の設立を日本の実業界の地位を向上させる好機と捉えた。「設立については実業界の問題を多数の人々によって相談して公平無私に我が国商工業の発展を図らなければならない」と考え、海外視察の経験がある大倉喜八郎をはじめとした7名の創立発起人らとともに準備を進め、1878(明治11)年3月に東京商工会議所が誕生した。初代会頭に就任した渋沢栄一は38才であった。

1878(明治11年)年に誕生

東京商法会議所が設立された当初の会員は51名にのぼり、1878(明治11年)年8月には、東京・日本橋駿河町の三井銀行で初集会を開催した。
初代会頭には渋沢栄一、第一副会頭に福地源一郎、第二副会頭に益田孝が選任された。
その後、東京商法会議所は60名前後の議員で構成、維持され、商工業に関わる様々な報告、議論、調査報告をまとめるなど、まさに「商人の輿論」をつくり、意見の発信を行った。また、1879(明治12)年にアメリカ合衆国前大統領のユリシーズ・グラント将軍が東京を訪問した際には、東京商法会議所で接遇し、グラント将軍は盛大な歓迎会をほめたたえたという。これは民間外交に大きな役割を果たし、これ以降も国際交流が東京商法会議所の活動の大きな柱となっている。

商法会議所設立之儀願書
1877(明治10)年12月

世界中で設立された商工会議所

第2次産業革命後、世界各国では次々に商工会議所が設立された。商工会議所は、民間私設の任意組織である「英米系統」と、特別法人の公的機関である「大陸系統」の2種類に分類される。法律上の地位や歴史的伝統、対政府との関係は異なるが、産業の発展のために活動しているという点は世界共通といえる。

世界の商工会議所の設立年

1599年 マルセイユ(フランス)
※世界の商工会議所の元祖
1768年 ニューヨーク(アメリカ)
1783年 グラスゴー(イギリス)
1878年 東京(日本)
1881年 ロンドン(イギリス)
1901年 ベルリン(ドイツ)
※各都市設立年抜粋

現在地(丸の内)に設立した
東京商業会議所
1899(明治32)年7月

画像提供:渋沢史料館