せたがやのボロ市

開催日 12月15・16日 1月15・16日
時間 午前9時~午後6時
場所 世田谷区ボロ市通り
交通機関 東急世田谷線世田谷・上町駅下車 東急・小田急バス上町停留所下車
お問合せ 世田谷区 世田谷総合支所地域振興課 電話03-5432-2831

ボロ市に関するお問い合わせは、世田谷区 世田谷総合支所地域振興課(電話03-5432-2831)へお願いします。


ボロ市へお出でになる方へ(お願い)

 歴史あるボロ市が皆さんにとりまして安全で楽しい市であるように地元関係者をはじめ各関係機関において事前に打ち合わせを行い万全を期しておりますが、次の事項につきましては是非とも、皆さんのご協力をお願いいたします。

  1. ボロ市開催当日は、周辺一帯が交通規制となります。
    また駐車場もありませんので自家用車等の利用はご遠慮願います。
  2. ボロ市開催当日は相当の人出が予想されます。
    子どもさんには必ず大人の方の同伴をお願いします。
    また、迷子にならないよう十分にお気をつけください。
  3. 皆さんに気持ち良くボロ市を楽しんでいただくため、ゴミの持ち帰りにご協力ください。また、トイレは所定の仮設トイレ等をご利用ください。
  4. せたがやボロ市保存会


世田谷のボロ市案内図 ボロ市マップ


ボロ市の様子

 天正のころ(1570年代)の楽市に始まる農民相手の農具市として毎年暮に開かれ、野良着のつくろいや補強用にボロが盛んに売られたところからボロ市と名がついた。明治にはいり見世物、芝居小屋も出て、関東大震災から昭和十年代にかけての最盛期には二千軒の露店が並んだ。近年は古物・農具・正月用品などのボロ市本来の品物を売る店にかわって、食料品・装身具・玩具・植木市などの店がふえて来た。

ボロ市のはじまり
 ボロ市のはじまりは、遠く四百年の昔に開かれた楽市にさかのぼることができます。当時関東地方を支配していた小田原城主北条氏政は、世田谷城主吉良氏朝の城下町である世田谷宿に、天正六年(1578)楽市を開きました。楽市というのは、市場税を一切免除して自由な行商販売をみとめるというもので、毎月一の日と六の日に月六回開いたので六斎市ともいいました。当時世田谷は江戸と小田原を結ぶ相州街道の重要な地点として栄えていました。この市により、これらの地方の物資の交流はいっそう活発になり、江戸と南関東を結ぶ中間市場としてかなり繁栄したことであろうと思われます。ところがこのようなにぎわいも、北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされ、徳川家康が江戸に幕府を開くにおよんで急速に衰えていきました。それは吉良氏の世田谷城が北条氏の滅亡と共に廃止されたため、世田谷宿が城下町としての存在意義を失い、村々が急にさびれてしまったこと、政治の中心が江戸にうつり、この地域が東海道、甲州街道の中間地としてとり残されてしまったこと、幕府の政策により、在地の商人はほとんど江戸に移ってしまったからであろうと思います。しかし、楽市は滅びましたが、その伝統は根強くつづけられ、近郷の農村の需要をみたす農耕具・古着市・正月用品として毎年十二月十五日に開かれる歳の市として長く保たれのです。明治の世になって新暦が使われてから正月十五日にも開かれ、やがて十二月十五、十六の両日、正月にも十五、十六日の両日開かれるようになり現在に至っています。

ボロ市の名の由来
 楽市として世田谷宿に開かれた市は、徳川時代になって市町という名のもとに開かれていましたが、後に農家の作業着のつくろいや、わらじになえこむボロが安く売られるようになって、いつとはなしにボロ市の名が生まれました。ことにわらじをボロいっしょになうと何倍も丈夫になるというので、農民は争って買いました。大部分の農家にとって農閑期の夜なべのわらじ作りは、大切な現金収入の副業だったのです。明治中頃までの市の最盛期には、ボロ専門の店が十数件も出て、午前中にはほとんど売切れになったといいます。もちろんボロ市といってもボロを売る店ばかりではなく、農具、日曜雑貨などの店が、道の両側のところせましと並んでお客をよびこんでいました。大正の大震災以後、世田谷は急激に発達し、都市化されたため農家がだんだんと減りはじめ、昭和十二、三年頃には、市にボロを売る店がほとんどなくなりました。農家の需要が減ったためです。しかし出店数は八、九百店から多いときは二千店にもおよび、昭和のはじめ頃から見世物小屋や芝居小屋までかかりました。商品の売買と共に娯楽の対象でもあり、親戚、知人の旧交をあたためる時でもありました。
 しかし、近頃は交通量の増大と共に出店数も六、七百店に減り、場所もせばめられました。商品も農機具、古物などボロ市的な特徴あるものはほとんどなくなり、かわって食料品、玩具、装身具等が多く、ことに植木類が多く売られています。古着類がわずかにボロ市の名を保っているといえましょう。