寿司の新しい可能性を開拓する | 株式会社玉寿司

寿司の新しい可能性を開拓する | 株式会社玉寿司

企業概要

企業名
株式会社玉寿司
創業年
1924年(大正13)年
所在地
東京都中央区築地1-9-4(本店)
代表者名
中野里陽平(代表取締役社長)
資本金
3000万円
従業員数
565名
業種
江戸寿司業
HP

1.マグロ問屋から寿司店へ

中野里孝正会長 中野里孝正会長

■震災で「問屋」から「寿司店」へ

元々は、魚河岸が日本橋にあった頃、「柳兼(やなかね)」という屋号でマグロ問屋を経営していた。1923(大正12)年に起きた関東大震災による柳兼の店舗焼失をきっかけに築地に移り、1924(大正13)年に初代・中野里栄蔵が、現在の本店所在地で高級寿司店「玉寿司」を開業した。

■空襲による店舗焼失

築地での営業は順調に進んでいたが、1941(昭和16年)に始まった太平洋戦争の戦況が激化し、寿司店としての営業継続は徐々に困難になった。1943(昭和18)年から2年ほどの間、外食券食堂(※)として営業し、寿司業は休止せざるを得なかった。しかも1945(昭和20)年2月には初代が病気で逝去、3月の東京大空襲で築地2丁目の本店があった区域が全焼し、店舗も住居も失ってしまった。
※戦中・戦後にかけて発行された、外食する際に必要だった「外食券」を利用した食堂のこと

■寿司店復興に向けて

終戦後、店の再建に向けて母・ことが築地市場で必死に働き、ようやく店を持つことができたのが委託加工店(第一号)と認可を受けた1948(昭和23)年。当時は米が配給制だったため、客が持ってきた米一合と引き換えに寿司10貫を提供するという委託加工の形式をとって、創業の志をつないでいた。
昭和30年代に入り、木造2階建の店を構え、母の要望を受けて三代目として寿司店を継ぐことになった。

2.2つの困難を乗り越えて

築地玉寿司本店 現在の本店の様子

■多店舗展開での失敗と成功

1965(昭和40)年、株式会社玉寿司として法人化。同年、渋谷東急プラザに第1号の支店を開店する。駅ビルで商業施設内で駅近という立地も支えになり、半年で本店を上回る売上げを記録した。
渋谷の成功を受けて2年後に開店した五反田店は、面積も大きかったため、寿司割烹として始めた。ところが、開店直後から苦戦を強いられ大幅赤字に陥り、半年で閉鎖を決めることになる。「大型店」「割烹」と見た目を重視した戦略が敗因と反省し、この失敗を教訓に、本業の寿司を重視した戦略に回帰。この経験を踏まえ、同年にオープンした目黒店、関内店はいずれも繁盛店となり、ピンチを救った。
それから3年、地道で堅実な経営により10店舗まで拡大した玉寿司に夢のようなオファーが訪れる。日本最大の繁華街、銀座への出店だった。 その出店に向け、導入したイノベーションの一つが明朗会計だった。当時、時価が常識だった寿司業界に一石を投じるかのごとく、適正な価格で職人が握る寿司を提供するという画期的な営業形態。ターゲットとした若者(団塊の世代)にも見事に受け入れられ、新たな顧客層を開拓。その後の出店の基本戦略となった。

■初心に立ち返って

2つ目の困難は、バブル時代の不動産投資によるものだった。本業の寿司事業は順調であったが、バブルが崩壊し不動産投資の損失による影響は深刻だった。金融機関との交渉は、主に息子(四代目中野里陽平氏)が受け、自分は「玉寿司」ののれんを守るため本店以外の資産をすべて売却し、債務返済に充てた。その後なんとか借金返済のめども立ち、社長を退任し、四代目に経営を任せることになった。初心を忘れてはならないということを改めて思い知らされる出来事だった。

3.寿司の可能性を広げるために

中野里陽平社長 中野里陽平社長

代表取締役就任後の事業展開について、中野里陽平社長にお話を伺いました。

■強みの再定義

事業承継後、当社の強みについて考え直すことから始めた。当時は回転寿司など比較的安価に寿司を楽しめる業態の店舗が急増し、価格だけで勝負するのは難しい環境になっており、玉寿司としての強みを再定義する必要があった。その結果たどり着いたのが、「職人」の存在だった。職人が生み出す握りたての寿司、おろしたて、さばきたての食材といった強みを生かせる店舗展開を考えた結果、顧客ニーズと自社の強みが最も合致すると考えられる都心に支店を集約していくことにした。

■人間力が企業をつくる

人材の確保には力を入れている。地方の学校への働きかけを地道に続け、若い良い人材に入社してもらう。各店で先輩が指導し、社内コンクールなどに出場しながら技術を磨いていく。技術だけでなく、店長やベテラン社員から管理能力や人間性なども学んでいく。朝礼は週1回、すべての店舗と本社を音声でつなげて実施したことにより、会社全体としての連帯意識も持てるようにした。このような取り組みの結果、仲間を大事にする社風が根付いており、社員同士の連携がしっかりできているため、離職率も非常に低い。また、個を埋没させない仕掛けをつくったことが、企業力の強化につながっている。

■新しい寿司店を目指して

ターゲットとするお客様のニーズを重視してきた三代目の姿を見てきた。オリジナル商品の「末広手巻」に行列する人を見て、店と商品づくりを工夫すれば、人の流れが変わるという面白さを肌で感じた。寿司には、まだ新たな可能性があると考えている。例えば、近年では女性同士が入りやすいお店、様々なシーンを想定しての商品開発に取り組んでいるが、従来の寿司店にはあまりなかった視点だと思う。これからも、新しい環境に柔軟に適応しながら、寿司の持つ可能性を広げていきたい。

(取材日:平成27年11月12日)