「誠実」と「独立独歩」の両輪で成長 | イワキ株式会社

「誠実」と「独立独歩」の両輪で成長 | イワキ株式会社

企業概要

企業名
イワキ株式会社
創業年
1914年(大正3)年
所在地
東京都中央区日本橋本町4-8-2
代表者名
岩城修(代表取締役社長)
資本金
25億7200万円
売上高
約530億円(平成25年11月期)(連結)
従業員数
約870名(連結)
業種
医薬品、医薬品・香粧品原料、化成品、食品原料の製造販売等
HP

1.小さな薬問屋から問屋商社に発展

代表取締役社長の岩城修氏 代表取締役社長の岩城修氏

岩城修代表取締役社長にお話を伺いました。

■日本橋の薬問屋として創業

イワキは、1914年(大正3年)、薬種問屋が立ち並ぶ日本橋本町3丁目で小さな薬問屋として始まる。創業者の岩城市太郎は、日本橋室町の薬問屋で奉公しながら薬学校に通い、奉公先が廃業したことを機に23歳の時独立し、「岩城市太郎商店」を創業した。四軒長屋の1軒を借りて始まった店は、荷物の出し入れにも苦労する規模だったという。

■二度の戦争と震災を経て

創業時は第一次世界大戦の直前で、欧米からの医薬品輸入が途絶え、価格が暴騰する中、市太郎は奉公時代からの経験と勘を活かして事業を軌道に乗せた。1923年(大正12年)の関東大震災で店が全焼してしまうが、3日後には仮営業所を立て業務を再開。医薬品製造や外地販売を開始するなど、事業範囲も順調に拡大していった。ところが、第二次世界大戦や太平洋戦争が始まると、製薬工場は空襲により焼失。社員も10人に満たない状態となり、長く厳しい時代を迎えることになった。

■復興と問屋商社業としての成長

戦争からの復興には時間がかかったが、焼失した製薬工場の再建、医薬品原料の販売体制の再構築などを通じて、徐々に復興を遂げる。1963年(昭和38年)に株式公開を前に、イワキ株式会社に改称。2代目社長岩城謙太郎が就任した後は、問屋が持つ営業・備蓄・配送機能と商社が持つ貿易・情報収集・研究開発などの機能を結合した、これまでにない「問屋商社業」としての発展を続け、2005年(平成17年)には東証二部から東証一部へ指定替えを果たした。

2.いかなる時も「誠実」であり続ける

昭和初年の岩城市太郎商店の様子 昭和初年の岩城市太郎商店の様子

■創業者の志を受け継ぐ

「誠実」「信用」は創業者岩城市太郎が最も大切にしていたことだ。震災や戦争の際に、医薬品の価格が高騰する中、薬種問屋には通常では考えられない高い値段で商売するところもあったが、市太郎は自分の店では「商売は暴利をむさぼってはいけない」として高い価格で売った社員を叱っただけでなく、取引先に代金を返しに行ったという。その分商売に対しては人一倍努力を重ね、「利は労して稼げ」というのが、市太郎の信念であり、商売の基礎となる考えだった。

■「IWAKI WAY」を胸に

現在もその想いは受け継がれており、社訓には「われわれは常に正しい道を歩み愛と知と誠実を信条とする」「『信用』は会社の生命である」と謳っている。入社式の際には、「働くというのは『傍(はた)=他人』を楽にすること。私たちは世のため、人のため、お客さまの喜ぶ顔が見たいから働くのであって、お金が第一目的ではない。」と話し、当社の考え方を若い社員にも理解してもらっている。3代目社長に就任した20年ほど前に、社訓からコンプライアンスまでを取りまとめた「IWAKI WAY」を策定した。IT大手の米ヒューレット・パッカード社が作成した、創立者の想いをまとめた「HPWay」という企業理念を知り、当社にも取り入れた。社員には、朝礼で話し合ってもらったり、何かあった時にはIWAKI WAYに立ち返って考えてもらったりするよう伝えている。

3.成長のカギは「独自性」

みずとりマーク イワキ株式会社を象徴する「みずとりマーク」は昭和6年に誕生した

岩城修代表取締役社長にお話を伺いました。

■双方向の事業展開を強みに

医療用医薬品卸売業は、大手企業の寡占化が進んでいる業界だ。その中で当社が成長してこられたのは、単にメーカーから製品を仕入れて病院や薬局に届けるのではなく、医薬品原料をメーカーに売り、その上で製品を仕入れるという双方向ビジネスの図式が成り立っているからだ。問屋であり、メーカーの立場でもある。行き来がある商売という意味で、スペースシャトルになぞらえて「シャトルビジネス」と名付けた。独自性のある事業展開が、サービスや製品に付加価値を与えてきたと考えている。

■東京タワーの足である4事業

当社では、「医薬品」「医薬品・香粧品(化粧品の原料)原料」「食品」「化成品・化学品」の4つの事業を柱としている。この4事業のことを、2代目(岩城謙太郎氏)は、4本あれば1本が細くなっても倒れないし、足を太くすることによって上に伸びるという意味で、「東京タワー」に例えた。4事業は分野が隣接しており、各事業を強化することで会社全体が成長してきたが、レストランなど本質的に関連のない事業には絶対に手を出さなかった。「多角化はしない」というのが先代からの方針で、経営資源はあくまで本業に集中してきた。

■意識的に独立系を維持

合併が多い医薬品業界において、当社は敢えて独立系であることを維持してきた。取引先だけでなく、金融機関も含めて、偏らず等距離で関係を築くのがスタンスだ。一部門で特定の企業との取引が4割以上を占めるのは避けるよう、バランスを意識して取引するようにしていて、結果的にそれが経営の安定性につながっている。

4.千年先を見据えた会社に

本社 日本橋本町にある現本社

■老舗と上場企業の両立

上場企業と老舗企業というのは、ある意味相容れない部分があると思う。創業者の志を守ることは、必ずしも株主の意見と合わない場面もあるからだ。最近では、上場企業に求められることは財政上の安定や事業の発展だけではなくなったかもしれないが、課せられるものも多くなっていて、老舗と両立を続けていくのは簡単なことではないと思う。

■後継者「自分で考えること」を大切に

私が入社した時は、当社の倉庫部門から始まり、いろいろな部署を回った。だが、後継者候補である長男は、コンサルティング企業に勤めた後で、関連会社のイワキ総研に入り、業務改革を担当した。社員には自分で考えることを意識してもらうことが大切だし、加えて当社の基本的な考え方が次の代へつながっていくことも重要視している。

■千年企業を目指す

当社は値段ではなく品質と信用で勝負する、創業者の信念を継いで今日まで続いてきた会社だ。IWAKI WAYは、千年経っても光り輝いていられる会社でありたいという想いをこめて、創業者の想いをわかりやすく伝えたいと考えて編纂した。当社は今年創業100年を迎えるが、「千年企業の礎(いしずえ)をいま作っている」という熱き思いを持っている。

(取材日:平成26年1月22日)