江東区 木材総目録
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米マツ角を主体に、米材が大量輸入される。当時の製材工場数2,404(10年間に約5倍となる。静岡194、福島133、岐阜123、東京 58など)。この頃から南洋材が輸入される。一般の木材取引単位が「尺締」より「石」に移行。この年、東京への木材入荷510万石のうち、米材260万石、北洋材100万石、内地材150万石。関東大震災。復興のため木材需要が急増。震災後翌年にかけて全国各地より復興景気を目当てに木材業者が東京に集中。材木問屋450(震災前280)、製材工場300(震災前130)となる。仲買商は1,000店を超え、震災前の2倍となる。満州事変勃発。この頃より、木材の水運からトラック運送に転換、取引先も広域化する。木場問屋の近郊出店増える。輸入防圧政策進む。米材の輸1918大正71920大正91922大正111923大正121931昭和6入が大幅に減少。この年、東京への木材入荷694万石のうち、輸入材は175万石。木材統制法公布。木材業は1年期限の営業許可制となる。東京大空襲により木場全焼。住宅不足420万戸といわれる。木材統制法廃止。林業会法施行。木材業の営業は許可制により再開。木場の旧問屋有志60余名が「木場新進会」を結成し、木場の復興を目指す。この年、深川区と城東区が合併し江東区となる。木材統制全廃。林業会法も廃止。木材業の自由競争時代が始まる。木場の問屋、製材、原木の3会団は木場移転協議会を結成、夢の島への木場移転運動を開始する。木材のメートル法が実施。新木場への移転、ほぼ終わる。(56グループ456社)1935昭和101941昭和161945昭和201946昭和211947昭和211950昭和251958昭和331961昭和361976昭和51昭和時代4

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