江東区 木材総目録
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(西暦/日本暦)江東区と木材の歴史江東区と木材の歴史江戸時代徳川家康、江戸に幕府を開く。1604年から始まった江戸城の大改修竣工。工事に従事した地方出材業者で江戸に残った者に御府内材木商免許が与えられ、日本橋材木町(のちの木材木町)を中心に水利に便利な南茅場町、三十間掘、八丁堀などに店を構える(江戸材木業の起源)。江戸大火。幕府は府内35ケ町の材木業者に材木高積を禁止し、材木置場として永代島(今の佐賀町あたり)を指定する。のちに元木場と称せられる(木場という地名の起源)。幕府は同業者訴訟事件を機に、三方直仕切をなす者を問屋、御屋敷出入などができる者を仲買と定め、両者を区別する(木材問屋の発生)。問屋は荷主から口銭を、仲買より皮銀を受け取る慣習が生じる。猿江木置場の業者はその地を返上し、代地として今の旧木場町あたりの土地約9万坪の払い下げを受け、自力で造成を行う(深川木場という地名の起源)。深川木場問屋、板材木熊野問屋、川辺古問屋を江戸材木三問屋と称する。深川や木場という地名の由来、江東区に木材産業が集積した足跡を振り返ってみましょう。1603慶長81773安永21606慶長111641寛永181673延宝11701元禄141745延亭1明治時代明治維新。木材が自由営業となる。福正材木店が初めての機械製材である5馬力丸鋸機を導入する。山上伝吉、木場に初めて帯鋸機械挽製材工場を創設。しかし、木挽職人から反対運動を起こされる。この頃、初めて米材が輸入される。日露戦争勃発。当時、東京市場に入荷する木材の9割は木場で取引される。東京の問屋数、木場 1 64、本所60、千住26、その他 24。中小問屋増加する。三井物産が汽船により大量に北海道材を入荷。材価低落により、エゾ松が大衆材として普及し始める。分間江戸大絵図が出版され、初めて深川木場の詳細が記入される。欧州大戦による造船用材需要増大をきっかけに木材市況活発化。1868明治11888明治211899明治321904明治371907明治40大正時代1916大正53

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