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王子田楽


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 王子田楽は王子権現社(現在の王子神社)に伝承された民俗芸能で、始まりは、中世の頃といわれています。江戸時代には、旧暦の7月13日に境内の舞台(現在は滅失)で、花笠を被り、衣装を着けた躍り手が十二番の演目を奉納したことが、当時の地誌などに記されています。戦争で長らく中断していた王子田楽でしたが、地域の人々の努力により昭和58年に復興を果たしました。現在は毎年8月、王子神社の例大祭最終日の午後、境内の仮設舞台で、地域の子供たちが躍り手となって王子田楽が執り行われています。
(北区役所の説明文より)

王子田楽

※それまで地域に古くから引き継がれてきた風習で、先の大戦を前後して、途絶えてしまったというものが日本にはたくさんあると思います。戦後60年が経過し、21世紀になった今、改めてその意味や価値を問い直し、引き継げるものは将来につないで存続させることを考えるべきではないでしょうか?!古臭いもの、遅れたもの、と唾棄するのではなく、その土地の先人の営みに想いを馳せ、風土に合ったものを蘇らせる。当時の記憶をお持ちの方々がご存命な今ならまだ、可能ではないでしょうか。
それを既に20年以上前に実践した「王子田楽の復興」。自分の宿命としてその課題をとらえ今も精力的に維持、発展に取り組む高木さんにお話をしていただきました。他の地域にも通用する大切な視点や考えを聞くことが出来ました。

■ 王子田楽を復興させた・・・・・ 王子田楽衆 代表:高木基雄さん

王子田楽 高木基雄さん
※この公式サイトにとても詳しい経過や考察が記されています。

■ 幻の復興計画
実は昭和三十年代、神社として行事を復活させようという動きはあったのだそうです。しかしその規模の大きさや複雑さを考えると、とてもそれを支える資金がないということで、その計画は立ち消えになったままでした。
正式な立場で復興させるということは、専門家に頼んで新しいものを創りだすというアプローチになってしまい、はじめから大掛かりなことを計画しなければならないので、莫大な予算が必要。という結論が先に見えてしまう からなのかもしれません。これは、全てに共通する悩みです。多くの場合はここで諦めざるを得ないのではないでしょうか?

■ 田楽躍りとの出会い・・・偶然見つけた江戸時代の絵
地元の土地っ子として育った高木さんは、昔語りとして戦前の「王子田楽」の様子は幾度となく聞いて育ったそうです。しかし、いくら説明されても言葉だけではイメージがつかめずに、ただ「すごいお祭りが有った」ということを知っていたにすぎませんでした。しかし予期せぬ出会いが神社社務所にあった一冊の本から生まれます。そこに江戸時代の「王子田楽」の様子が描かれた絵を見つけたのです。それを見て「俄然興味が湧きました。」「もっと話を聞きたい。」と感じ、改めて、当時の様子を知るお年寄りの話を聞いて周ることになるのです。探さなくても話した人が別の人を紹介してくれるという地元民ならではのつながりで「イメージがどんどん広がりました。」

■ メロディーが聞けた!
しかし、絵を見ただけでは音がありません。動作や身振りが解ってもまだモヤモヤしています。そんな中でなんと「音楽を口ずさめる方に出会えたのです。」明治時代にその方の父親が神社としての復活に寄与していたとのことで、当時子どもで皆の作業をそばで見聞きしていた為トータルに口ずさむことが出来、その記憶は鮮明でした。「一部分だけではなく始まりから終わりまでを通して聴けたことによって、“これは残しておかなければ、もったいない”という意識が芽生えました。」

■ 復興は考えていなかった
そのメロディーを録音し覚えると、「こんないいもの、何で皆放っておくの?」「これは自分がきちんと把握して人に伝えねば。」という気持ちが生まれたそうです。でも、この時点ではあくまでも旋律、「この曲を残さねば」であって「行事全体を復興させるなどは、誰かがやるだろう」ぐらいのものでした。ところが一度点いた知的興味の炎は、「どうせなら笛で演奏できないか?」に始まり、出来るようになると「それを人に教え、では、振り付けも・・・」と可能性追及の連鎖になって燃え広がるのです。動きが始まれば、情報は寄って来るし、歴史の変遷を見通す知識も身に付き、確信がさらに強くなります。自分の存在を「形にするため。多くの人に見せるため。」の活動に捧げる情熱は、数か月の後にはなんと完結した“踊り”を蘇らせてしまったのです!小さな出来ることの連続が、気がつけば当初、予想もしていなかった大きなことを短時間で実現してしまう。最初に計画がなく、拘らなければならない制約がない個人の活動だったからこそ実現が可能になった訳です。

■ いざ形が見えると・・・
不思議な「絵」との出会いから一年も経たずに、翌年の例大祭で「試し舞」が振舞われることになります。ここまではまだ私的活動の発表です。しかし、それを観客として多くの方が見てしまうと、「これこそ自分の記憶の再来」と評価を得、神社総代会も認める本格的な復興活動に繋がることになりました。実は本当の大変さはここから始まります。しかし、「芸能については素人」だったからこそ、創作するのではなく「史実に忠実に」という基準を貫き通すため、更なる考察、探究作業もより深化したものになりました。それが結果的には高い評価に繋がり、世にその名を知らしめることになるのです。

■ 伝統芸能ではない、「伝承芸能!」
見学した小林一茶も俳句にしているように、この行事はそもそも子どもが大きな役割を演じます。ここに持続させるための難しさもあります。しかし、王子田楽の特殊性と本来の姿へのこだわりは、「伝承芸能と呼んで欲しい」の言葉が示すように、日常的な子どもたちへの技術指導と場所づくりという地道な活動にも繋がることになります。もちろん関わった子どもたちの記憶の中にはしっかりと技術だけではなく、地域で育つ実感が蓄積されているはずです。

■ 持続できる仕組みづくりは、更なる街おこしに
最後に高木さんは、「だから田楽だけではなく、さまざまな仕掛けが必要」とおっしゃいます。「子どもたちは好奇心が有り、いろいろな事がしたいはず。親も一緒に楽しめ、自らが演ずることに興味を持ち、得意なことを見つけ出し成長する喜びを体験することが重要です。」その言葉には、途切れていたものを復活させた到達感に満足するのではなく、ひとつの芸能の枠を超えた「地域文化の復興」を進めているのだという自負が込められ、これから続く物語の展開を自信を持って予見しているようでした。

このような活動は本来、個人の犠牲の上に実現されるものではなく、社会としてきちんと評価し全体で維持していける仕組みづくりこそが必要であることを実感しました。



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