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狐の行列


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広重の錦絵 毎年大晦日の夜、関東各地から集まって来た狐たちがこの榎の下で衣装を改めて王子稲荷神社に参詣したといういいつたえがあることから、木は装束榎と呼ばれていました。狐たちがともす狐火によって、地元の人々は翌年の田畑の豊凶を占ったそうです。
  江戸の人々は、商売繁盛の神様として稲荷を厚く信仰しており、王子稲荷神社への参詣も盛んになっていました。やがて、王子稲荷神社の名とともに王子の狐火と装束榎のいいつたえも広く知られるようになり、錦絵の題材にもなりました。
  昭和4年(1929)、装束榎は道路拡張に際して切り倒され、装束榎の碑が現在地に移されました。後に、この榎を記念して装束稲荷神社が設けられました。平成5年(1993)からは、王子の狐火の話を再現しようと、地元の人々によって、王子「狐の行列」が始められました。毎年大晦日から元日にかけての深夜に、狐のお面をかぶった裃(かみしも)姿の人々が、装束稲荷から王子稲荷までの道のりをお囃子と一緒に練り歩く光景が繰り広げられます。(北区教育委員会 )

★狐たちはどこから?
王子稲荷(岸稲荷)は平安時代当時の「東国三十三カ国」の総司です。つまり、江戸時代よりも前から「東国」の狐たちが集まってくるという言い伝えがあったのですから、今の関東地方よりも規模は大きく遠くから集まったことになります。

狐の行列王子狐の行列公式サイト


私たちは今使っている言葉・概念でものを捉えます。それは歴史的な事象を考察する際、障害になることにも注意しなくてはなりません。とりわけ生活習慣や地域の呼称などは時代とともに変遷していますから、今の感覚で捉えると正しく認識できないこともあります。とりわけ地名というものは、管理体制とともに変わってしまいますから故事を伝承していく場合には、当時の社会状況やそれ以後の政治体制などにも思いを馳せなくてはなりません。
何気なく使っている「関東・関西」という括りも、どこの地域を示すかは時代によって異なります。関東と同じような意味合いで使われていた「坂東」という言葉はあまり聞かれなくなりました。「四国・九州」のようにその数を根拠にしているものは解りやすいですが、時の都(国の中心地)との距離で呼ばれた「畿内、近国、中国、遠国」などは混乱する要因になります。
そもそも対象になるものの全体像や起点がはっきり確定しなければ、土地を東・西という方向で捉えることは出来ませんね。
第15回狐の行列(2007年~8年)
(再生時間 6分)
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<ユーチューブへの投稿動画>
狐の行列の紹介


2008.12.31大晦日の王子狐の行列 part 2




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